当時(建元期)は
クレセント連邦と北アメリカの諸国及びその他の国が冷戦状態となっていた。これに対し
烈明帝は国民らが反クレセント派であふれかえっていたことを機に反クレセント連合に参加した。こうして楼蘭帝国は裏で反クレセント国として動いていた。だが建元7日(2022年2月2日)に烈明帝は三創同盟にクレセントが加入したことを機に隣国
オスマン帝国や
埼玉との関係悪化を恐れ反クレセント連合を脱退し親クレセント国へと楼蘭帝国を変えようとした。しかし国民らはこの動きに反発。こうして烈明帝ら親クレセント派と多くの国民ら反クレセント派で対立することとなった。
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