背景
天輔2日、運営陣により
222事件が勃発する。これにより楼蘭帝国含め多くの国が混乱状態となった。この事件が起こった際、皇帝であった
孝永帝は建築が消えることに対し嘆き悲しんだ。そして失意のまま翌日死去。これにより
大覇帝が後を継いだ。こうして大覇帝は中国中部への遷都を決めた。
テロ
大覇帝は香安京から立ち去る事を機に香安京を国民らと破壊して回った。まず、西側の門のそばで1スタックを超えるTNTを爆破し香安京西に大きなクレーターを作った。その後、国民らに火打石とTNTを渡し各所を破壊して回った。その結果孝永御所は消し飛び九条駅も塵と化した。こうして香安京の多くの部分が破壊された。そして、国民らはいよいよ新たな町へと向かっていった。
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