しかし敵は南部ではなく北部からやって来た。天明帝の子の御香やつ七世が日本から上陸し上海北部から攻撃を開始した。突然の出来事に対応できなかった明徳帝は都を捨て西部へ逃れた。こうして御香やつ七世が帝位に就こうとしたが貴族らは禅譲しての皇帝就任を要求したことで御香やつ七世は西へ向け行軍した。しかしこの戦いでは明徳帝軍の待ち伏せに会い大敗した。その後、かまたら将軍が上海へ到着し御香やつ七世軍と合流し東へ攻撃を行った明徳帝軍に勝利した。
しかし反乱軍に加担した蒲生ゆうたがかまたらと会議にて対立したことをきっかけに御香やつ七世を拉致し南部へ向かっていった。かまたらはこれを追いかけるがその隙を突いた明徳帝軍が再び攻撃を開始した。これにより兵力が弱体化した反乱軍は敗北し明徳帝が上海を制圧した。しかしここで反政府派の
しw?が東部で挙兵し都へ攻撃を行った。連戦により弱体化していた明徳帝軍は敗北し南西部へ敗走した。
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