2-0 サーバー開始前(〜2021年11月21日)
Earth craft出身であるが他の多くの初期参加者とは違い、日本連邦には所属していなかったもののしあき氏と個人的に関係があったため招待された。TheWorldMCの時とは違って一国民としてプレイをしていたが外交などは多少していたのでTheWorldMCの下積みにはなったと思われる
2-1 最初期・TheWorldMC日本列島時代
古参(注2)であり日本列島時代はクリエイティブ権限を与えられ、ロビーの作成もしていた
(やばい奴であることがバレたのか(注3)世界マップ時代ではさせてもらえなかった。)
またdiscordに二番目にブーストをした
日本列島時代は神奈川県にイスラム幕府を作ろうとしたが国名に地名を入れる必要が出てきたので鎌倉イスラム幕府に改称したこの時点では国民は自分含め3人しかいなかった。ミニタリスト氏と神奈川領有を巡り一時争ったが分割(注4)することとし、すぐに和解した
2-2 世界マップ時代初期(2021年12月)
サーバー始まる前後で日本国外に国を作ることにし(注5)鎌倉イスラム幕府から台湾イスラム幕府に改称した
しかし、名前が不適切とされ(注6)台湾幕府に改称した
サーバーが始まるとすぐに町を台湾に作り領土を広げた
(実は一度バグで町が消えており、現存しているのは12月3日に作られたものである)
台湾幕府という名前であるが東アジアスポーン地点付近で活動していた。(注7)
この頃に国民のspecter氏がバグ技(注8)で古代の瓦礫を増殖していることを知り、最初はやめるように言ったがそれに目が眩んで同調し、バレそうになったのでさっさとしあき氏に自首して降伏した。
その後建国するが一度不具合から町と同様に国が消え、現在の台湾幕府/大宋は12月3日に建国されたものを引き継いでいる
12月10日あたりになると国民が8人くらいとなり、当時の基準では大国であった。(注9)
12月下旬辺りまではそのまま特に何かをすることなく亡命者を受け入れていた
ちなみにkouki氏(FPC帝国元首)やクロ氏(南アメリカ元首)も一時期台湾に所属していた
minitalist氏の掲示板で国を宣伝する手法を真似することで12月下旬になると人口が急激に増加し、自国民に町を作ってもらい領土を広げる方針をとったために国力が増加していった。この頃(12月21日)に国名を大宋とし、巨大な版図実現を目指した。(1月24日以降に再び国名が台湾幕府になっている)
また当時はローマ帝国が北京を領有していたので中華統一のため、対ローマ戦会議に参加して領土の奪取を目論んだ
2-3 大宋引退まで(2022年1月1日〜1月23日)
対ローマ戦会議に参加したものの共に反ローマ派のイギリスの拡大を恐れた(当時は世界でトップクラスの大国で、アジアなどに進出する計画もあった)ためにローマ帝国に一部情報を流し、周辺国と同盟を組むように勧めヨーロッパにおける力の均衡を計り、勢力拡大を妨害した。
その後、交渉によって北京の割譲が決まったため戦争は望まなくなった
1月2日にローマ派と反ローマ派との間でローマ=アウスグライヒ戦争が起きるが、先述の通りこの日までにローマの中国領土獲得は確定していたので対ローマ戦会議にいながら参戦はしないという決断をした
結果は反ローマ派の敗北であり、イギリスも同様に参戦しなかったもののヨーロッパでの勢力均衡は達成できた
1月7日には(裏のdiscordで日本国民がイギリスを政治ごっこをしていると罵ったことに対してキレたイギリスの首相のとつえる氏が日本に恫喝したため)埼玉が独立し、日本が弱体化したためサーバー開始直後から人口1位であった日本を破り、大宋が人口1位となった。
このあたりから人口が40人近くになり自分だけで専制的に運営していくのが不可能だと思い最初に内閣大学士のyyuki氏に次いで他4人にdiscord権限を渡した
また同日(1月7日)に遼東半島奪取のための満州侵攻(通称:満攻)を企画し、先の対ローマ戦争で負けた国の感情を煽り(満州はローマ側で参戦していた)複数国で攻撃する計画を立てた
その後、サーバーのプラグインの都合もあり延期され
1月13日を20人近くを動員して満州国境近くに進軍した
しかし、この時も開戦できず(このときは双方の合意がないと戦争ができなかった)さらに延期された
結局第一帝国も対満州戦に参加するという情報を人伝いに聞き、満州侵攻後に大宋の同盟国が減った状態(同時はアジア連盟という組織が機能しており、原則ではアジアの国同士で戦う場合に攻められた側に全ての国が味方することになっていた)で第一帝国が裏切り自分たちに攻めてくる可能性があると判断し侵攻は諦めた
その後は建築や外交などをいつも通りしていた
1月23日に皇帝を辞し、国から出て行った
2-4 大宋引退後・トランスヴァール共和国時代(1月23日〜2月3日)
国から出て行った当初はちゃいぱん氏のブダペストの町に所属する予定でちゃいぱん氏がなかなかサーバーに入らないので1月23日以後数日間はポーランドの南にウクライナという町を作りしばらくそこで待機していた
しかし、痺れを切らしたため町を削除し元大宋の植民地であるトランスヴァール共和国に入り一応首相をしている
現在はたまにしかサーバーに入らず公式discordにも今までのように頻繁に顔を出すことはなくなり半分引退しているような状態となった
2-5 大大韓民国時代(2月4日〜2月13日)
ヤコブ氏が2月4日に大韓民国臨時政府を作った後にトランスヴァール共和国も大韓民国臨時政府に参加した
トランスヴァール共和国大統領はイスラエルの管理者となったのでNothehir=Hanageが共和国大統領となった
2-6 休止期間(2月13日〜23日)
大宋皇帝をやめてからはやる気が特になかったので一時引退した
他の類似したサーバーで細々とマイクラをしていたが、そのサーバーが即死した()上にざわむしのマップがリセットされると聞いて2月23日に一応復帰した
その後もほとんどサーバーには参加せずdiscordで活動していた
2-7 八韓民国最初期(3月21日〜30日)
権力構造が曖昧だったが一応八韓民国首領/大統領であった。辞退しようともしたが、拒否されたのでしばらくしていたが一時的に引退して以降やる気がなく、数ヶ月前ならありえない無能っぷり()を発揮した。
受験勉強もしなければならないので参加頻度は減るがdiscord老害として活動していく模様だったが...
2-8 八韓民国時代創設期(4月1日〜4月30日)
先述のとおりやる気はなかったが、ゲームシステム上誰かはやる必要があったので引き受けることに
宋時代の反省から、国の政治方針は合議制をとることとしたが、とんかつマン氏が他国と同盟を多数結んだことにより比較的独立志向のHanage氏は他のF8と方針の齟齬が生じた為、方針の決定方法が曖昧な体制を改め、方針案を挙げてから会議をして指名された人間が実行する体制に改められた。
が4月上旬にもとはる氏が脱退して非F8出身の国民が増えてくると合議制による政治は次第に崩壊し、各界隈の連合的性質を帯びてきたためHanage氏やF8数人を中心とした半専制体制に移行していった。
また同時期にヤコブ氏やまいかま氏の離脱によって(後に復帰)F8出身者の比率が下がり、更に各界隈の力が強まったので外交と内政が分業的に行われるようになった
2-9 八韓民国成長期(5月1日〜6月26日)
インドと北アメリカの干渉によって独立したカザフスタンが5月4日に復帰し、別の国家として運営されてきたことにより八韓は東洋連盟に所属しているが旧カザフスタンは西洋連盟に所属しているという外交上の矛盾を解決するため八韓民国は東洋連盟を脱退して西洋連盟に加入した。
(この頃東洋連盟は日帝中心連盟であるとの批判をしたが完全にプロパガンダであり、八韓民国の脱退理由とは関係がない)
また離脱したヤコブ・マイカマも復帰してヤコブの復帰により八韓民国領重根(ジブラルタル)が成立した。
5月16日にはイベリア人民共和国がイベリア自治州として八韓民国に編入され6月5日に編入が決定したポルトガル、重根をまとめた八韓民国領イベリアが6月6日成立した
そして6月26日にはちゃいぱんのカラシャールが八韓民国に編入された。
この二ヶ月間の間に思ったよりも拡大に成功し、人口は40人を超えた
個人的には全盛期は宋の頃だと思っていたし、八韓民国成立当初は10〜20人くらいの中堅国家にする予定だったので結局また自らをめんどくさい方に誘導してしまったのであった
またこのあたりの時期に外交の参考にするため諜報を専門とする八韓民国中央情報局が設立された
2-10八韓帝国期(6月27日〜7月22日)
ちゃいぱんが八韓民国に加入した後一部国民の要請により八韓帝国に改称された
Hanage氏は摂政となった。しかし、サーバー内で名称を変更した翌日にはサーバーがメンテナンスに入った
その後は根強くあった批判を受け入れる形で7/22日にこっそり八韓民国民国に回帰させ今にいたる
この時代には昔からあった八韓民国中央情報局の活動を中心とした情報戦の強化を決定した。
2-11八韓民国第二共和国(7月23日〜8月13日)
民政に回帰することで八韓民国第二共和国が始まり、同国の大統領となった。この時期は対外拡張が盛んな時期となった。7月30日には八韓民国民を動員してセネガル共和国首相選挙で勝利し、同共和国の首相となった。
その後8月4日にどる氏が大統領を辞任してカーボベルデに亡命するとセネガル共和国大統領に就任し数々の改革によって同共和国への八韓民国の影響力を最大化した。
イベリア半島では強気な領土拡大によりザイヤーン共和国のイベリア進出を阻止した(ただし、これはイベリア総督の独断で行われたものでありHanage氏本人は強硬路線に反対した)
8月13日にはセネガル人民共和国の南部地域を破棄させ、残った地域を北セネガル人民共和国として八韓民国に併合させた。
2-12 八韓ドイツ人民共和国連邦期(8月14日〜8月21日)
八韓ドイツ人民共和国連邦が成立し、連邦主席となった
初期から崩壊の危機に何度も見舞われたがなんとか存続させている。
基本方針としてお互いの内政には口を出さず、外交・軍事での意見統一を掲げ、暗黙の了解の元これが守られている。
しかし、8月20日には数々のrin氏の行動が招いた彼の人気のなさが外交にも影響するとしてささき氏に地位を落とすように相談している。
この頃には八韓民国初期のような合議体制が復活し、依然として発言力は保持していたが外交を中心に他人に委任するようになった。
アフラシア連邦への連邦再編もHanage氏はほとんど関与していない
2-13 アフラシア連邦期(8月21日〜9月7日)
外交は国民がするようになったので特に何もしていない()
一部からは再びHanageの専制体制に戻すべきとの意見もあったが、数ヶ月連続で外交を中心とした国家運営をして疲れてきたのでそういった意見には知らないふりをしてニート生活をしている。
一応、荒らし対策として町長が失踪したオープン状態の町を国から追放したり、iberiaの町長変更をすることでイベリア半島領土の八韓直轄地化を完成させた。
8月30日には8月中旬のHerobrine72370の荒らしから始まる八韓民国への連続荒らし問題を解決するためには根本的な解決が必要だとして、主にARUKANAの調査をした。
(調査結果は
72370でみれます)
9月4日にけじめをつけるためにサーバー内での首都をgijajoseonとし、連邦成立以来進んできた分権化を加速させた。
その後、9月7日に完全に政権交代が起き、連邦主席がとんかつマンに移ったことで隠居が完了した。
2-14 首領辞任後(9月7日〜9月27日)
特に政策に関わることはなくあまりインしてもなかったが、9月27日にbanされたことで事実上引退となった。