4月10日にコーナーブルック州(現コーナーブルック特別市)に隣接した町として作られた。当時の名前は「ケベック・テンペスト州」であったが、すぐに「ルムリ州」と改められた。
後日、
もとはるはルムリ州に2人のリア友を呼んだ。彼らはルムリの開発を行い、ルムリは郊外都市として発展していった。ルムリ州の景観は評判が良かった為、同盟国の
チェコ共和国の大統領
NKchannel?氏が訪問したりもした。他にも、ざわむし教団の宗教施設がルムリ州の北部に建設された。
5月頃、
小野莉緒はルムリ市への鉄道が改装した。しかし、現地住民の売店を解体する事になり、揉め事が起きたが、売店を駅の中に移すことで合意した。
一方、この頃のルムリ州はイン率が低下しており、財政難であった。一方、コーナーブルックの財政は非常に裕福であった為、アレクサンドルは毎日ルムリ州に維持費の支援をしていた。しかし、アレクサンドルが辞任すると、ルムリ州の財政支援を行えなくなり、6月24日、ルムリ州は財政破綻し、街にあった建物が倒壊し、鉄道の駅が埋まった。(
ルムリ州の財政破綻)
9月、
ザイヤーン共和国はケベックからルムリを割譲し、
ザイヤーン領ルムリを成立させた。