万来5日、TWMCにモブが追加されるとアスガルドの前例を考えた後明雄帝は迅速に村人を確保し修繕と効率Vを持つ村人の
種付けおぢさん?を獲得した。その後、ラグが原因でモブのスポーンが停止したことで多くの国家が村人を持つことができなくなり後明雄帝は修繕本の専売に成功した。この後明雄帝の活躍により漢は利益を得た。さらに
大日本帝国と協力し村人を増加させて利益の肥大化を行った上、同盟国である
八韓民国へ村人を一人送るなどの外交も行った。しかし万来8日、
おねむ?によって村人一家が殺害される
万来の変が起こった。これに怒った後明雄帝はおねむへ自首を要求。さらに
アスガルドに対し二箇条の要求を行った。また、後明雄帝は怒りのあまりアスガルドの対応次第ではアスガルドの南部を爆撃することを企てたが
大旭日帝國の
むつきぃに止められたことでこの計画は白紙となった。その後、おねむの自首により事件は解決したがこの事件により大きな経済的損失をした。しかし大日本帝国の援助により村人を復活させ再び修繕の専売に成功した。その結果、約20万$も国家予算が増加した。これにより漢は
楼蘭帝国から続く
楼蘭民族?系国家の中で一番の最盛期を迎えることとなった。さらに同時期に
東ケベック共和国に漢の大使館が完成した。これにより漢はさらに発展を遂げた。また、この時期に
南京の城郭が完全に完成した。しかしこの時期、後明雄帝は多くの粛清も行った。ある共産主義者の学者は
エンペラーボンバの50分の1サイズの核の実験台とされた。また、村人の共産主義者の学者の左藤は一家もろとも処刑され息子の肉を食べさせられた。