同時刻、都のローマから急報があり征討軍に即時帰還を求めた。それはFPC帝国の余党がシチリアから北上して都に攻め入ろうとし、軍を二手にわかれて進みローマ軍を破って進軍していた。
征討軍がローマに引き返すと、敵は大軍を集めローマ軍を破ってボートにのって地中海の流れを下り、すぐローマの間近まで攻め寄せてきた。ローマ軍は急いでローマ城に近い船着き場に要塞を築いて敵の上陸を阻止した。
FPC帝国の中堅勢力は水軍なので、ローマ前線軍が帰ってきて陸上の防備を固めると軍勢を退却させた。
ローマ軍は海路を迂回南下して、オーストラリアにある敵の根拠地を奇襲したことでFPCの留守部隊は全滅した。
ローマ軍はさらに水軍と騎兵を率いてイタリア半島に沿って東に進み、FPCの本軍と決戦した。陸上で騎兵が優勢なことがローマ軍に決定的な利点をもたらした。敵の軍艦は風のないときはどうしても岸に停泊して動かずにいなければならないが、そこを狙って陸上から火をかけ攻めた。その後FPC軍はシチリア島に攻め込んだが、ローマ駐屯軍に迎え撃たれて完敗し水に身を投げて死んだ。
ウィーン要塞の戦い
ローマ同盟国軍の
満州人民共和国軍及びそれに雇われたファントムの傭兵、
インド帝国軍、
オスマン帝国軍、はイタリア半島を北上しアルプス山脈を通過した。一方アウスグライヒは兵力が少なく要塞に全力を集中し、防禦工事を厳重にして待ち構えた。しかし
満州人民共和国軍及び傭兵などのシルクロード同盟国軍の一部が要塞に侵入を成功させ、相手を混乱に陥れた。30分もすると、ウィーン城内は指揮統制が倒錯しローマ軍の攻撃を支えきれずに落城した。むつきぃはローマに送られて死に処せられた。
この戦闘で発生したキルによりシルクロード同盟が勝利し、この戦争は終わった。