哈奴とはじめは仲介に入るなど割と友好的に接していたがその後哈奴は世界中の国々やサーバーを貶すような言動を繰り返した。これに対してもあまり触れないようにするよう行動をしたが裏で友好的に接していた
スウェーデン?や
AU戦闘共和国?が迫害に会ったことを機に孝永帝は堪忍袋の緒が切れることとなった。こうして孝永帝は哈奴排除の動きへと動き出した。まずは哈奴の潜伏する
カザフスタンへ旅行を建前としたうえで攻撃をしてくるか試した。この旅行の際哈奴はスウェーデンと戦っていたことで襲撃をしてこなかった。また、この旅行で
sioyakii?に手厚くもてなされたりなどしたことでカザフスタンという国家自体はいい国家であるという印象を抱く結果に終わった。だがその後も哈奴は他国へ罵詈雑言を浴びせた。こうして孝永帝は再び哈奴を排除すべく立ち上がった。だが哈奴は10人以上いる上戦いなれているが楼蘭国民は建築勢が多い上戦い慣れていない、さらには人数にも劣る事で正面衝突しての勝機はないに等しい状況であった。そのため孝永帝は再び釣り作戦を行う。楼蘭帝国のPVPをONにしたうえ存在を示すべくチャットで一般的な会話を行った。PVPPNの中堅国家を数々と挑発してきた哈奴は楼蘭帝国がその条件に当てはまっていることを知ると香安京に向かい孝永帝を襲撃した。孝永帝は怪我を負うが孝永御所に籠城したことで哈奴はつまらないと言い帰っていった。しかしこの事件を孝永帝が訴えたことで哈奴の中心的人物らの多くが運営に処刑される事となった。こうして核を失った哈奴は運営の不戦令なども相まって解体されていった。この
天徳の変の後孝永帝は大いに喜び国民らと宴を開いた。その際に孝永帝は釣りをし釣った魚に哈奴という名前を付けて国民らに食べさせるといった行為を行った。
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