こうして独立した楼蘭帝国は近隣諸国と同盟を結んだ。さらに楼蘭帝国は
ノバヤゼムリャ?・
ワンデリング?といった香安京以外の都市も成立させていった。一方そんなころ世界ではアメリカを筆頭とした反クレセント派と
クレセント連邦と親しく接する親クレセント派で対立していた。楼蘭帝国の国民らは反クレセント派だったため烈明帝も反クレセント派だったが烈明帝が親クレセント派に鞍替えしたことで反クレセント派の国民らは怒り反乱を起こした。(
建元の乱)一時は皇帝が都落ちするほど大規模な内乱となったが一時的に反乱勢力を制圧した。その後烈明帝は死去、
橘川帝が後を継いだが橘川帝は暗愚だったことにより右大臣
ほうろうによる政治が行われたが皇帝の権力低下を見た反クレセント派らは楼蘭帝国の各地で反乱を起こした。橘川帝が皇帝であることに不満を抱いた人物らにより橘川帝を退位させ
孝永帝を即位させた。孝永帝は全国の反クレセント派を虐殺し反乱を鎮圧した。さらに孝永帝は
天徳式目を制定。ここに楼蘭帝国初めての法律が誕生した。
孝永帝により楼蘭帝国の基盤が作られたがこのころ、世界を震撼させた
哈奴が親交国を攻撃した挙句罵詈雑言を浴びせると言った行為をしていたことで孝永帝は哈奴の排除を計画。孝永帝は囮捜査を決行、その結果多くの哈奴が引っかかり挑発行為の証拠などを握られてしまい処刑され解体へとつながった。(
天徳の変)こうして平和が訪れたことにより孝永帝は
承永元日(2022年2月12日)に
承永律令を制定する。さらに翌日には
高田町?を成立させる。こうして楼蘭帝国は完璧な大帝国となった。しかし
承永中元2日(2022年12月19日)に
承永中元の政変が勃発。これにより
エグゾンビアが一時的に皇帝となったが再び禅譲されたことで孝永帝は皇帝に復帰する。
天輔2日(2022年2月22日)に
222事件が発生。この事件によりサーバーの全建築のリセットが決定した。これに孝永帝は嘆き悲しみ失意のまま死去する。その後、
大覇帝が即位し国民らと会議を行い中国中部への遷都を決定する。こうして香安京から離れることを決めた大覇帝は
楼蘭帝国同時多発テロを起こしほとんどの建物を破壊した。そして天輔7日(2022年2月27日)、サーバーは閉鎖し楼蘭帝国は消滅した。
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