最終更新: katokatori 2022年07月17日(日) 02:31:06履歴
国旗 | ? |
地域 | グアム |
公用語 | 日本語 |
町長 | 香取 |
政体 | 君主制 |
主義 | 権威的民主主義 |
早速太平洋上の小島で生活を始めた二人であったが、グアム島は1チャンクに到底満たない面積であり、北マリアナ諸島に関しては最早水面に浮かぶブロック数を指で数えられる程度の広さしか無かった。しかし埋め立てをしようにも土が足りず、日々を生き抜く最低限の食料調達すらも現地生産出来ない為に、初期は土を回収しに南のニューギニア島へ、食料や木材を調達しに北の日本本土へ泳いで往復する生活であった。地産地消の実現により生活が安定するのは、埋立事業の進行で土地を確保し植林場や畑の建設が完了してからであり、そこに至るまでに時間と労力が掛かったのは言うまでも無い。
グアムの埋立事業がある程度進んだところでsora氏がグアム島に移住し建築を開始。終盤は北マリアナ諸島と陸路で接続した他、植林場や複数の畑に加えて動物小屋や炭鉱開発も進み、ある程度快適な暮らしが確保されていた。最終的にグアム島は6×5チャンクにまで拡張された。
常に土地不足に悩まされたグアム島と違い、メソポタミアの広大な砂漠地帯に設立された大クルディスタンでは、大クルディスタン要塞を始めとする大規模建築が増加した。また当時は国内での街道敷設が急ピッチで進められており、オスマン帝国の中心に設立された大クルディスタンから放射状に西はキリキア侯国を始め聖キプロス自治州やコンスタンティノープル、北は大アルメニア王国、東はイラン平和自治区やサマルカンド、南はアブダビ首長国へと街道が伸びて行くなど、交通の要衝としての側面も強まり急速に発展していった。
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