歴史
設立への経緯
紀元前満州人民共和国を構成していた主な民族満州民族は新世界移行の際に新京市のchokinyan率いる「樺太人民共和国派」と沿海省のoculus率いる「パレルモ共和国派」に分かれ新世界で満州民族大移動が行われた。しかしchokinyan率いる樺太人民共和国派は設立されずその後oculus率いるパレルモ共和国がシチリア島で興った。
設立当初はイタリア半島南部にナポリと3000が存在しこの2国と敵対関係にあった為oculusは急遽コルシカ島とサルデーニャ島を支配していたサルデーニャとスイス、イギリスに使節を派遣し友好関係を築き国際社会での露出を図ろうとしたが媚びを売っただけで何の成果も得ることはなかった。
その後イタリア半島南部とシチリア島領有を目指していた3000との関係が急激に悪化し両国間で緊張が続いていた。
首相oculusは戦争以外での解決は不可能と考えパレルモ城塞を築き厳戒態勢を敷いていたが軍事行動を起こすほどの物資もなく3000からの要求を全て無視していた。
これにより3000との国交が最低レベルまでに落ち込んだ際3000を飲み込みかけていたナポリの市長チャットに接近し宰相チャット氏からオスマン加盟の提案を受けオスマン加盟投票を行い賛成4票反対1票によりオスマンへ自治州としての加盟が決定した。
〜オスマン加盟後〜
オスマン加盟後のパレルモ共和国は自治州パレルモへと変わり都市開発へ注力するようになった。
パレルモ都市開発の父ooo215によりパレルモ最大の港カターニア港が作られそれを軸に高層ビルが乱立しパレルモの文化レベルは一時オスマン最高レベルに達した(眠らない街パレルモ)現在もオスマン構成国の中では最もビルの多い町である。
現在も都市開発が盛んに行われており路面電車(シチリア電鉄)が走り更にはナポリやサルデーニャを繋ぐ地下鉄計画も存在している。
首相oculusの友であるradishによりシチリア第2の港パレルモ港が開発されその周辺には現在パレルモ電鉄終点パレルモ港駅やシチリア学院大学パレルモ港キャンパス等が建てられている。
〜トリポリタニア〜
オスマン加盟後しばらく経ちオスマン宰相チャット氏による勧めで北アフリカのトリポリタニアを領有した。
トリポリタニアには現地人が太古に作ったとされる砂のピラミッドのような物や砂のモスク等が各地に点在している。それらの研究はトリポリタニア西部に存在するトリポリ記念研究所で日々研究がなされている。
年表
令和4年(2022年)
3月20日ナポリ王国設立、オスマン帝国建国
3月22日カラブリア州を完全領有
3月29日プッリャ州北部国境が確定
3月29日オスマン帝国によるイタリア統一
4月03日アルバニア領有
4月04日ボイロゆかりさん地上絵をキレナイカに作成
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