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yatuuuuuuu8 2022年09月30日(金) 10:12:38履歴
ザイヤーン共和国(きょうわこく、英: Republic of Zayyan、登:Zayyan)、またはザイヤーンは、北アフリカに位置する民主制国家*1。首都はイコシウムにある。オスマン帝国共同体の加盟国。
内政においては、2022年6月10日にザイヤーン共和国憲法?を制定し共和制国家となった。
国名の由来は、かつてアルジェリアで活動していたザイヤーン朝に由来する。
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国旗 | 国章 |
公用語 | 日本語 |
首都 | イコシウム |
最大の都市 | イコシウム |
構成都市 | イコシウム,シュレフ |
植民地 | ルムリ |
国土面積 | 767C |
人口 | 8人(最盛期) |
建国 | 2022年6月10日 |
建国 | 2022年9月28日 |
通貨 | ドル($) |
政体 | 独自主義 |
国歌 | 誓い 音声ファイルへのリンク |
大統領 | 御香やつ |
シュレフ市長 | jpnmc24 |
ルムリ総督 | ここいち |
日付 | 出来事 | 大統領 |
6月10日 | ザイヤーン共和国が建国される。 | 御香やつ |
八韓民国から援助金を受け取る。 | ||
6月11日 | スエズ事件? | |
6月13日 | マヨルカ島とメノルカ島を占領する。 | |
第一次東洋大戦に対し中立宣言を行う | ||
イコシウム条約? | ||
6月17日 | マヨルカ島とメノルカ島を放棄する | |
6月25日 | アフリカ開発機構へ加盟する | |
6月29日 | 東アフリカ鉄道?の通行を承認する | |
7月10日 | 非中立宣言 | |
8月3日 | シドニー条約機構?への誘いを拒否する。 | |
8月4日 | アフリカ開発機構を脱退し、セネガルと断絶 | |
8月10日 | シュレフ設立 | |
8月14日 | オスマン帝国共同体に加盟する | |
8月17日 | ハンニバルカップが開催される | |
8月26日 | イスラム国多発テロ事件 | |
9月4日 | ザイヤーン領ルムリ設立 | |
9月中旬 | ザワムシ全体でザワムシ離れが起こる | |
9月26日 | jpnmc24がららアースへ移住する | |
9月27日 | やつ、ここいちが受験で引退する | |
オスマン帝国皇帝の香取が二代目大統領になる。 | 香取 | |
9月28日 | オスマン帝国と会議で併合が決まる。 |
6月10日、御香やつ初代大統領によりザイヤーン共和国は建国された。建国当初はアルジェリアの地をFPC王国も欲していたが御香やつの方が早かったためFPC王国は撤退した。その後御香やつ主導でザイヤーンは発展しやがて国となった。しかし国となった際現実で同じ位置にあるアルジェリアの首都アルジェはアイスランド平和主義国の町の一つと名前が同じであったため首都名は古代ローマ帝国の植民都市であったイコシウムとなった。イコシウムはそこまで発展しなかったが6月13日に当時では世界最大規模の戦争となった第一次東洋大戦にて講和会議が行われる場所として指名された。こうしてイコシウムは歴史の表舞台へ出てくることとなった。
イコシウム競馬場の誕生と最盛期
13日、御香やつ大統領は第一次東洋大戦が起こっている最中、マヨルカ島とメノルカ島の二島を征服する。しかし17日からイコシウム競馬場の建設が開始したとき領土が不足したためこの領土を放棄した。こうして色々ありながら始まったイコシウム競馬場の建設は世界中の競馬ファンたちの人気を集め、ザイヤーン共和国は知名度をあげることとなった。
やがて第二次長期メンテナンスが来るとその期間にjpnmc24をザイヤーン共和国へ勧誘することに成功する。jpnmcはバルセロナ市を作るため目標を立てていたが八韓民国領重根?が北上したためこの計画は白紙となりザイヤーン共和国はヨーロッパから撤退することとなった。
やがてサーバーが開始すると競馬プラグインが追加されたため競馬需要が高くなり馬の調教などを行う人々が沢山イコシウムを訪れたためイコシウムは発展していった。さらに8月10日に新しくシュレフが成立した。この二つの効果によりザイヤーン共和国はとてつもない勢いで経済成長していった。13日に中立化宣言、さらに14日にはオスマン帝国共同体へ加盟し地中海世界での国力を上げていった。
8月17日、アース系サーバー初の競馬大会であるハンニバルカップが開催された。これは大いに盛り上がりイコシウムには30人ほどの観光客が来た。人口の集中度は過去最多であり祝福の声なども飛び交った。また、このハンニバルカップによりザイヤーン共和国は競馬による多額の資金を獲得しそれを国の発展へと当てたためイコシウム・シュレフはすさまじい勢いでの経済成長を成し遂げた。
9月、ケベック連邦の元領地であったルムリ州を割譲させ、北米にも進出した。
衰退と併合
しかしルムリ設置の直後からザワムシにおいて長期メンテナンスが起こった。これによりjpnmc24がららアースへ移住。さらにこの同時期にルムリ総督のここいちが高校受験のため引退しやつが大学受験のため引退した。やつはシュレフ市長を大統領の第一後継者、ルムリ総督を第二後継者、そしてほうろうを第三後継者としていたがこの三名が同時期に引退してしまったため第四後継者のオスマン帝国へ大統領職を渡すことがザイヤーン議会にて決議された。これによりオスマン皇帝の香取?氏がザイヤーン共和国二代目大統領となりそのままオスマン帝国の領土となった。こうしてザイヤーン共和国はTWMCから姿を消した。しかしザイヤーン共和国併合後もイコシウム競馬場の運営はオスマン帝国とTRA本部が行うことで継続した。また、ザイヤーン共和国の滅亡に対しジャーナリストのH氏は「受験での引退があらかじめ決まっていたやつ氏はともかくかなり熱心にザワムシにハマっていたアレク氏が離れたという事はすなわちザワムシ自体が極度に衰退した事を示唆している。」と語っている。
しかしながらも隣国アイスランドやオスマン帝国との関係はとても良好とされる。















現時点で、ザイヤーン共和国には2つの都市がある。また、ザイヤーン共和国の周辺はアイスランドに囲まれており、特にタストゥル市との交流が非常に深い。海を挟んだ先には、フランスのマルセイユがあるが、現時点で大規模な交流は行われていない。また、地中海を経由して八韓ドイツ人民共和国連邦領イベリアやオスマン帝国のサルデニア王国がある。南に行くとサハラ砂漠が存在している。
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